駆け抜ける森 見上げた空

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「少年時代」⑤青空に抱かれて~背面飛び~

 彼と過ごしたのは、子供が増えて教室が足りなくなり、町の予算が間に合わないために本設として使われていたプレハブの校舎だった。気温などは教室としての基準を満たしていたらしいが、実際には、輻射熱で夏は暑く、熱放射で冬は寒かった。 

 

 その後者は、鉄骨にベニヤを張り、断熱材なんて入ってなかったのではないかと思うような造りだった。

 トイレには、屋根だけがついた渡り廊下で移動したが、雨風は壁のない横方向から吹いてきた。普通に虫がいて、寒い日には水道が凍って出なかったり、寒さで便器が割れたこともあった。

 そんな過酷な環境の教室だったが、プレハブ教室は平屋だったので、グラウンドに出るには都合がよかった。特に、靴を履き替えずにまっすぐ出れば鉄棒が目の前だった。だから、五分休みには上履きのままグラウンドに出るのはしょっちゅうだった。

 子供ながらに、どうせ砂ぼこりが吹き込んでいるのだから同じことだと思っていたのかもしれない。それに、掃除するのも自分たちなのだ。もっとも、一刻も早くグラウンドに出たいというのが最大の理由ではあったが。

 

 そんな教室での生活は、学年が変わるとともに終わりを告げた。

 鉄棒を教えてくれた彼とも違うクラスになり、新しい仲間と過ごすようになって、彼と会うことも無くなった。そのうちに、彼の話も聞かなくなったので、どこかのタイミングで引っ越したのかもしれない。少なくとも、卒業するときには、其処に彼の姿はなかった。

 

 学年が変わってからは、サッカーを始めたこともあり、鉄棒をすることも少なくなった。でも、その時に覚えた独特の浮遊感覚はその後も残り、恐らく後にオーバーヘッドや背面跳びの感覚が閃くことに繋がった。ただ、オーバーヘッドと言っても、筋力のない私はシュートにはならずオーバーヘッドトラップに留まった。

 

 背面跳びは、中学生の時に覚えた。というか、その時期だけ出来た、と言った方が正しい。

 体育の授業で色々な跳び方を習ったが、背面跳びが一番合っている気がした。先生お勧めの跳び方だったベリーロールは面白くなかったし、巧く跳べなかった。

 かといって、最初に習うハサミ跳びは尚更面白くないと思っているときに、なんとなく背面跳びのイメージが閃いた。

 ゆっくりと弧を描きながらバーに駆け寄る。そして、直前で回転しバーに背を向けて後頭部から跳ね上がり、空を見ながら背中でバーを越して腰と足を空中に跳ね上げる。

 あとは、重力に任せて背中から落ちて行くだけだ。

 視界一杯の青空に抱かれながら、ふわりという浮遊感とともにマットのなかに包まれてゆく。

 この感覚は、他の何にも変え難いほどに魅力的で、それからは、その年の陸上の時間は、ずっと背面跳びをしていた。

 今思えば、あの「グライダー」の感覚に似ていたのかも知れない。

 

 背面跳びだからといって、他の人よりも高く跳べた訳では決してなかった。

でも、陸上部でもないし、そんなことはどうでも良かった。ただ、その何物にも変え難い、特別な浮遊感を何度でも感じていたかった。

 残念なことに、いまではもう、あの浮遊感を味わうことは無いけれども。