駆け抜ける森 見上げた空

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「少年時代」①校庭の四季と体育館

 子供の頃はというと、色々な事がすべて新鮮で、すべてが興味の対象だった。すべての事が色鮮やかに飛び込んできて、それらは未だに記憶のどこかに残っている。時間の経過もゆっくりで、あの僅か5分の休み時間にも、よくまあ遊びまくったものだと思う。 

  晴れの日には、ボールを持ってグラウンドに飛び出し、雨の日には、友だちと迷路を作りっこしてお互いにやりあって遊んだ。

 凝縮された感覚の中では、無駄なものはなく総てが有効だった。あのくらいの感覚を持ち続けていられたなら、色々な事を記憶出来るし時間も有効に使えるのだろうと思う。

 

 私のいた小学校は、元々沼地だったところを埋め立てた所で、台風などで大雨になるとグラウンドは大きな池に変わった。

 周囲は水田と芦原に囲まれていて、夏の終わりには芦原は赤茶色のガマの穂が広がった。秋になると、そこはすすきにとって代わり、一日の終わりにはオレンジ色の光がすすきの穂を輝かせて、一面が黄金色に染まった。

 

 グラウンドの西の端には付近の公民館を兼ねた体育館があり、放課後などはミニバスケットをして遊んだ。

 体育館は木造の古い建物で、帰る前にはみんなで雑巾掛けをした。みんな、負けたくないけど楽もしたいので、雑巾を絞らずに、びしょびしょのまま雑巾掛けをして、あとでみんなで滑ったりした。

 そんな体育館は、天井には雨漏りの跡もあって、暗くなると幽霊が出そうで怖かったけど、みんな強がってわざとらしく暗くなるまでいて先生に追い出されたりした。

 

 その体育館も建て替えられることになり、校庭の北側に新校舎と繋がる形で立派な体育館が建てられた。

旧体育館が取り壊されたところは、ぽっかりと空間ができて、少し間抜けな感じがした。

 新校舎には、丁度六年生になった私たちが優先的に入り、雨の日でも直接体育館に入れるようになったので、休み時間には体育館に行くことが多くなった。

 広くて明るい体育館は快適で、旧体育館がなくなった寂しさは次第に薄れて行き、心のすみに小さな感傷として残るだけとなった。