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「家路」③受験勉強と記憶の方法

 ふと脇を見ると、高校生だろうか、参考書のようなものを広げて試験勉強をしている。

 試験勉強といえば暗記だが、私は暗記をすることがとても苦手だ。しかし、人に言わせると、私は色々なことをよく覚えているという。

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  確かに、幼い頃のことや、映画のワンシーンなど、一度しかなかったことをよく記憶したりしている。

 ところが、歴史や単語、法律や数字など、見事なまでにまるで覚えられない。そこで、いろんな人の記憶方法を聞いては試すのだが、やはり上手くいかない。どうやら、人によって記憶や思考の方法が違うようだ。

 

 以前、ノーベル物理学者のファインマンが、著書のなかでテンポを刻むときに頭で何をイメージしているかについて書いたものを読んだことがある。彼は、テンポをカウントする時にはメトロノームの針をイメージするが、彼の友人は巻き取られてゆくテープの表面に均等に画かれた点(ドット)が移動するのをイメージしているという。同じことをするにも、人によって違うものだと二人で感心したというものだ。

 これと同じように、恐らく記憶のシステムも人によって違うのだろうと思う。だから、他の人のやり方では覚えられないのだろう。

 

 私は、単語などの言葉や数字などをそのまま記憶することはとても難しい。

 どうやら、私の中では色々なものが言語や数字ではないものに置き換えられて記憶されているようだ。一言でいうなら「イメージ」とでもなるんだろうか。だから、色々な情報を上手くイメージ化出来たものは記憶できるし、そのイメージを上手く数字や言語化できると、その「互換ツール」を使って考えることが出来るようになるらしい。

 しかし、その変換プログラムを組むのが大変な作業らしく、それが私の中に構築されるまでの間は、私の中では「わからない」と判断されるようだ。

 

 だが、一方で、一旦「わかるように」なると、私の中では得意とも言えるものになることもある。

 子供の頃、最初は図形問題が凄く苦手だった。定義やら定理やら、言葉の決まり事や証明するだとかの事々が、まるで宇宙人の会話のようで、何をどう考えたらよいのか、さっぱり分からなかった。しかし、図形を実際にノート一杯に描いて、定理などもこそに書き込むようにしたら、そのうち平面図形のイメージが自分の中に創れるようになり、いつの間にか得意分野になっていた。

 しかし、似たような三角関数はどうにもイメージがつかめずじまいで、未だに苦手なままだ。同じように、国語の文法問題も最初は苦手だったけど、いつからか出来るようになったが、英語の方は大人になった今でもまるっきりなままだ。

 

 他の人の事は分からないが、このように私の場合は自分の中で上手くイメージ化できたものは記憶出来るし、考える事も出来る。

 よく「日本語で考える」等と言うが、私の場合は言葉や数字ではない「イメージ」として処理されているため、必ずしも日本語では考えてないらしい。どの分野も、最初はどうにもならないのだが、どうやら「訓練」を重ねることによってもその「変換プログラム」を造り出すことも可能であるらしい事がだんだん判ってきた。

 この作業は、個人的には大変な苦労があるのだが、一方では強烈なインパクトにより、映画のシーンのように一瞬で記憶してしまう事もある。この傾向は、特に子供の頃は日常的に有った出来事なのだが、この歳になると残念ながらなかなかそういうことは起きない。そんな自然偶発的な事を意識的に起こせれば便利なのだが、そこはそうは上手くいかないらしい。

 

 気がつくと、電車は既に地上に出て、窓の外を夜の町明かりが流れてゆく。この辺りからは、車内は少しずつ人が減ってきて、立っているのも少し楽になる。

ふと、車内放送が耳に入ってきた。

「携帯電話のルール変更について…」

 そうか、ルール変えたんだな。

 携帯電話の新しい車内ルールでは、混雑時のみ優先席周辺では電源を切ることにしたらしい。良いことだ。こうして、気がつかない間にも少しずつ世の中は変わってゆくのだろう。

 誰かが広げた新聞は、相変わらず変動する株価や為替相場の様子を伝えている。

 そういえば、国家公務員はフレックス導入を決めたが、地方公務員は見送るらしい。民間に広がるのはまだ先か。

 世の中、変わってないようで少しずつ変わっていたり、逆に、やっぱりあまり変わってなかったり。

 自分もそうだもんな。

 流れ去る景色を眺めながら、そんなことをぼんやりと考えていた。