駆け抜ける森 見上げた空

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「まちづくり」③古いものと新しいものと

 古いものと新しいものが混在すると、何故か日本ではそれぞれの存在が個性を主張していて巧く溶け合っていない印象がある。

 これに対してヨーロッパでは見事に溶け合ったような町並みが出来上がっている例が多い。少なくともそう感じる。

 

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 これは、ヨーロッパでは自らの街に対して、その景観や文化に、そこに住む人たちや関わる人たちが誇りを持ち、大切に守ろうとする感覚があることが影響しているらしい。それで、ドレスコードのように再開発をする際にも町並みや景観を損なわないようにしてると聞いたことがある。

 これに対して、日本では古きに囚われずに次々と作り直す文化があるようで、それは江戸の街では火事が多かったことも関係してるらしい。どうせ直ぐに燃えちゃうからと、簡単な造りにして燃えても直ぐに建て直せるようにしていたらしく、その習慣が次々に作り直す文化を産み出したのかも知れない。

 でも、その中にあって、神社仏閣などはよく残されており、そこここで見掛けることができる。

 

 そういえば、東北地方では、神社仏閣などは津波の届かない処や、来ても大丈夫な高台等に建てられている例が多いようで、東日本大震災の際にも多くの寺社が残っていた。浅間山の噴火の時には、麓にある鎌原村の観音堂は村を飲み込んだ溶岩から村人たちを守る祠になった。

 都内でも、台東区待乳山聖天は下町の平野にありながら、そこだけこんもりとした小高い丘に建ち、浅草寺も軟弱な地盤が広がる下町にあって、そこだけは地盤が比較的強固だと聞いたことがある。

 きっと、古くからの伝承や技術によって選ばれた場所に建てられているのだろう。或いは、そういう処に建てられた物だけが残っているのか。

 

 この、ビルに囲まれた神社仏閣の多くには、大抵説明のための看板が建てられている。これらを順に辿っていくと、この街の歴史や文化が垣間見えてくるような気がする

 ただ、札幌の時計台もそうだが、もう少し空間的余裕を持って周辺との調和を図ったまちづくりを期待したいところだ。

 まあ、これだけ街の景色が変わって往くなかで残っているだけでも価値のあることなのだろう。また、それがこの日本らしさ、東京らしさなのかもしれない。