駆け抜ける森 見上げた空

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「まちづくり」①雨上がりの街

 取り敢えず、午前中の仕事が一区切りついたので、外に出ることにした。私は、出来るだけこの閉鎖的空間から逃れたいので、何かに理由をつけて外に出るようにしている。といっても、そうそう理由なんて無いのだけれど。

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  玄関を出ると、雨上がりの澄んだ空気を透して透明な光が地面に残った水溜まりに反射する。ガラスに覆われたビルの壁にも反射して、あちこちから光が射してくるので、どこを向いても眩しいような感覚になる。

 雨上がりの晴れた空は、いつも本当に綺麗だ。そして眩しい。いつもはどれだけ空気が霞んでいたのかを実感する。

 

 そういえば、以前、雨上がりの朝に都内の公園墓地を歩いたことがある。緑が少ない都内では、広大な敷地に沢山の樹々が育つ公園墓地は、貴重な緑地帯だ。

 そこでは、様々な種類の樹木が自由に育ち、大きく成長している。街路樹や公園の樹々が大きくなりすぎないようにされていないので、樹々が本来の樹形を保ったまま大きく育つことが出来る。だからなのか、ここに来ると、どこかホッとしたような気分になれる。墓場のど真ん中なのに、とも思うのだか。

 

 雨上がりの公園墓地は、樹々の枝に残った水滴が太陽の光を反射して、それが透明な空気の中を通り抜けてくる。その時に、まるで空気の中に残った小さな水蒸気の粒に反射しているかのように煌めいて見える。

 その空気も、漂っていた微粒子がすべて雨で流されてしまったかのように綺麗に感じて、なんとも清々しい気分になる。

 

 墓場の中にいて、清々しいと思うのも変なのだが、そういえば、似たような言葉に「爽やか」という言葉がある。

 「爽やか」と「清々しい」の違いとはなんだろうか?

 「爽やか」といえば、次に思い付くのは「高校野球」とか「青春」といった言葉だろうか。たとえば、汗をかいた後にシャワーを浴びた時のような感覚と言えば良いだろうか。

 これに対して「清々しい」は、この雨上がりの朝の空気のような、そもそもが綺麗さっぱりとした、そしてその開放的な空間に解き放たれた時に感じるもののような、そんな感覚だろうか。