その頃住んでいたのは、アパートの一階だった。1Kの簡単な部屋は南向きで、道路から少し入ったところにある部屋の前は、中からはちょっとした庭のように見えた。
その庭のような空間は、町中の連なったアパートの部屋の前であるにもかかわらず、周辺から切り離されたような、静かで不思議な空間に感じた。
晴れた日には、太陽の光が静かに降り注ぎ、まさに言葉のとおり日溜まりになっていて、暑い夏の日には、向かいの家の木々によって丁度良い具合に木陰ができた。
穏やかな風が通り抜けてゆくその居心地の良い空間は、自然と猫たちの通り道になっていた。黒いのや白いのや、ブチやトラなど、色々な猫がそこを通りすぎ、たまには寝転んだりしもした。
猫たちは集まってくるというわけでもなく、ただなんとなく通りすぎる、そんな場所代だった。
私はいつも、そんな猫たちを窓からなんとなく眺めては、それとなく楽しんでいた。
そんな猫たちのうちの一匹が、近くで子供を産んだ。
何処に住んでいるのかはわからないが、好奇心旺盛な子猫たちは転げるように駆け回っていた。そして、それを少し離れたところから成猫が見守るように見ていた。あれはきっと親猫だろうと思った。
そのうちの一匹が、特に好奇心が強いらしく、他の兄弟たちよりも遠くまで遊びに行ったり、親猫が呼んでもなかなか戻らなかったりしていた。警戒心の強い親猫や他の兄弟たちと違い、その子猫は私を見かけても逃げたりはしなかった。
そのうち、何か危険を感じたのか、親猫と他の兄弟たちは姿を見せなくなった。
でも、その子猫だけは、相変わらずその辺りで遊んだり、くつろいだりしていた。
親猫もいないのに、餌はどうしているんだろう。そう思った私は、部屋のガラス戸を開けて、パンの欠片をそっと置いてみた。
すると、どこからともなくその子猫が駆けてきて、私を見上げた。
その子猫は、白地に黒のブチ柄で、背中の斑点が、ハート型に見えなくもなかった。
目と目が合うと、その子猫は、みゃう、と鳴いた。
そして、視線を落とすと、目の前のパンの欠片のにおいを嗅いで、そして、一口、もう一口食べた。
その後で、再び私を見上げて、みゃう、と鳴いた。
そして、何かに気付いたのか、後ろを振り向くと、サッと何処かへ駆けていった。
目の前には、食べかけのパンの欠片が残されていた。私は、誰にも気づかれないように拾い上げた。
それが、その子猫との最初の出会いだった。